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『もう大丈夫だよ』って言ってくれるまで、寄り添っていきたい

ボランティア団体「杜の都チーム ドルフィンドリーム」代表
天野龍(あまの・りゅう)さん


http://ameblo.jp/dolphindream/

massage.jpg

天野さん



 仙台市若林区に本部を置く、団体と同名のセラピスト学校でセラピー資格を取得した卒業生女子たちが中心となり、被災地の避難所や仮設住宅で、被災者にマッサージを施しながら体をほぐし、さまざまな悩み事に耳を傾ける活動を続けている。

 代表の天野さんは、この道20年のベテランセラピスト。ハンド、フットマッサージのほか、色彩心理診断やカラーセラピーなど多岐にわたるセラピーの有資格者で、心に深い傷を負った子どもからお年寄りまでの被災者の体と心のケアサポートの指揮を執っている。

 「セラピストへの道を志した忘れられない体験が、今の活動につながっていると思うんです」。そう話す天野さんは、20代前半で、生死をさまよう交通事故に遭った。「子どもが産めない体になるかもしれない」「もう結婚をあきらめた方がいいかもしれない」「治らないかもしれない」....。明るい見通しが全くない絶望の状況で、「先が見えない人生の岐路」に立たされ、うつ病になりかけた、という。

 かすかな望みをもって、セラピーを本格的に勉強するため、活動が盛んなヨーロッパなどの海外に旅立った。そこで出会ったセラピストたちとの交流から徐々に心と体を回復させていった天野さん。団体名「ドルフィンドリーム」は、ドルフィンセラピーで心目覚めた自身の体験に由来している。「その時から、いつか私もセラピストとしてたくさんの人を救いたいって思うようになったんです」

 東日本大震災が起き、天野さんの背中を、数人のスクール卒業生たちがこう言って押した、という。「(セラピストの)私たちが、被災者の皆さんのために動きましょう」

 4月から本格的に動き出し、現在、20代から40代の女性約20人が、宮城県石巻市と七ヶ浜町で定期的に活動している。単にマッサージを施すだけではなく、健康状態や心理状況を尋ねるアンケートを行って高齢者に対して自身の健康への意識を高めたり、マッサージを受ける被災者1人1人のケアカルテを取り、体調の変化を記録している。

 多くの被災者たちが、避難所から仮設住宅に移り、「家にこもりなかなか外に出ないお年寄りたちも少なくなく、以前より体調を崩しているケースが目に付くようになっています」と、天野さんは指摘する。専門医への受診が必要な場合や生活改善に向けて必要だとスタッフが気付いた点について、行政などの関係機関に連絡を取る体制を取っている。

 ただ、ボランティア団体ゆえ、会場となる公民館や集会場では時間制約があって希望者を受け入れられなかったり、関係機関への助言を批判ととられ苦しい立場に立たされることも時折ある。「1つ1つの障害を越えながら、粘り強く地道にやっていくしかないのですね。実際、私たちが来ることを楽しみにしてくださっているお年寄りの方たちや子どもさんたちがたくさんいるんです。皆さんのためにも頑張らなきゃ!」

 カルテは現在、数百人を数え、セラピストを目指す人たちが被災者の中からも出始め一緒に活動している。「将来、被災者自身がほかの被災者の方々を癒す存在になっていければ、素敵ですよね」


こんな応援を求めています

 日本財団から資金援助を受けていますが、正直、かなり厳しい状況です。趣旨に賛同していだく各種団体からの資金提供があればとても助かります。関係団体から、施術用オイルやバスタオルなどの寄贈も受けており、消耗品のオイルはいくらあっても助かります。被災者の方々が気軽に利用できるような環境を整備したいとも考えております。(天野さん談)


応援できる方は
sbn@socioengine.co.jpまでお問い合わせ下さい。


取材・執筆者:河北新報社ネット事業部・相原研也
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寄り添い、暮らしを立て直していくということ。

パーソナルサポートセンター安心見守り協働事業部
立岡学代表


立岡学さん
PSCの事務所で仕事をこなす立岡さん(右端)。「震災に限らず、
生活が行き詰まった人をどう支えるか。孤立させず、伴走しながら長期間を
サポートする仕組みが求められている」=仙台市青葉区二日町


 一般社団法人パーソナルサポートセンター(PSC)は、東日本大震災直前の2011年3月3日に産声を上げた。ホームレス支援や障害者雇用、児童虐待防止などに取り組む宮城県内の10団体が大同団結。生活上のさまざまな困難を抱えた人たちに長期間寄り添い、暮らしを立て直していくことを目指す。

 長年ホームレス支援に携わってきた立岡さんは「福祉制度のはざ間に埋もれ、働くこと、生活することが困難な人たちがいる。仮に職安で仕事を見つけて働き始められても、放っておくと辞めて、また路上生活に戻る人もいる。そうならないためには5年、10年というスパンで、誰かが伴走しながら支える仕組みが必要なんです」

 そんな理念を掲げて動き出そうをした矢先、見舞われた未曾有の震災。真っ先に救いの手を差し伸べるべき対象は、震災被災者になった。

 仙台市との協働で6月中旬から、津波などで家を失った人たちが暮らす仮設住宅の見守り事業を担う。立岡代表、事務局のスタッフを含め、PSCの所帯は8月末現在で49人。「絆支援員」と呼ぶ35人の見守り担当員と、リーダー格の「暮らし再生プランナー」6人が2─3人1組で家々を訪問する。

「体調はお変わりないですか?」「困っていることはありませんか?」。安否を気遣いながら、最も避けなければならない孤独死や自死に至る予兆はないか、細心の注意を払う。

 見回り活動で得た情報は、PSC内で共有。「暮らし再生マネージャー」と呼ぶ2人の専門家らに報告の上、困りごとにはどんな対応が可能か、それを担うのはどこの機関で、どんな制度の対象になりうるかなどなどを見極める。法律や制度に相当程度習熟していないとできない仕事だが、各種団体の連合体であるPSCには各分野のスペシャリストがそろっている。

 見守りの対象となる世帯は現在、仙台市太白区にある「あすと長町仮設住宅」など約300世帯。今後、被災者の入居が進むにつれ、対象は19カ所、計1100世帯まで急増する見込みだ。限られた陣容の中で、きめ細かい巡回を続けられえるかどうか、模索が続く。

 支援を続ける中で、PSCが当初想定していた支援対象に出くわすケースも少なくない。ヤミ金業者に多額の負債を抱え、年金口座まで事実上差し押さえられたいた人。児童虐待が疑われる母子家庭。アルコール依存症のお年寄り・・・。問題を抱えながらも震災前は周囲にも気づかれずいた人たちが、見守り活動によって顕在化。立岡さんは「不幸中の幸いというか、社会の暗部が震災であぶりだされ、大事件を未然に防いだという側面もある」と指摘する。

 被災者を見守る今回の仕組みは、国の緊急雇用対策の助成を活用している。絆支援員らPSCのスタッフ自身も被災者雇用の枠で採用されており、立岡代表は「支援者自身の身分が不安定で将来に不安を抱えていては、仮設住宅入居者の相談にも親身になれない。パーソナルサポートの仕組みをいかに永続的な事業にして、緊急雇用の期限が切れた後も受け皿を用意できるかが問われている」と自らの役割を説く。

 セーフティーネットの脆弱さが指摘されて久しい日本。震災を機に整備が進んだパーソナルサポートの仕組みを恒常的な制度に育てていくためにも、いまは目の前の被災者一人一人の声に耳を傾ける。


こんな応援を求めています!

仮設住宅に暮らしている人たちにも担える仕事が欲しいですね。理想は、入居者が集会所などに集まってできる内職、手仕事です。集まってもらえれば会話にもなるし、見守りが一カ所でできるし、被災者は小遣い稼ぎにもなる。全国各地の経営者の人に、そういう仕事が身近にないか、検討してもらいたいです。またPSCの取り組みや仮設住宅の現状を随時発信していくためにホームページの開設を検討していますが、サーバーのめどが立っていないんです。できれば無償でお貸しいただけるところがあれば、そういう支援も助かります(立岡代表談)

※お力をお貸しいただける方は、PSC事務局022(399)9662までご連絡ください。

取材・執筆者 河北新報社ネット事業部 大泉大介

よみがえれ故郷 ふんばろう南三陸町

「よみがえれ故郷 ふんばろう南三陸町」現地リーダー
嶋津祐司さん(44)


http://add.main.jp/yomigaere/pc/

嶋津祐司さん
仙台の会社事務所に届いた物資を選り分ける嶋津さん。
「行政にはボランティアも安心して活動できるように、
町再興のビジョンを早く示してほしい」=仙台市青葉区立町


JR仙台駅東口で営む弁当店の切り盛りを家族やスタッフに任せ、4月上旬から連日、宮城県南三陸町で支援活動を続ける。担うのは、救援物資の調達と町内への配送。行政には難しい柔軟・迅速な対応で、地元で厚い支持を得る活動の陣頭指揮を執る。

3年前のこと、友人に送ってもらったタコの味に驚いた。「今までで最高の味!」。買った店を尋ねると「南三陸町志津川の『さかなのみうら』だよ」。南三陸町はタコが特産品。すぐに電話して追加注文。以来、年に何度か店を訪ねる関係になった。

震災後、店と三浦保志社長の安否が気になりネットで検索した。すると、三浦社長が地元で支援物資配送の中心になっていることが分かった。すぐに電話し支援を約束。翌4月6日、食糧や飲料、軍手など、すぐに欲しいと言われた品々をかき集め、届けた。

「さかなのみうら」は、必要な物資を被災者から聞き取ってインターネットで発信し、全国の個人・団体から提供を受ける「ふんばろう東日本プロジェクト」(西條剛央代表)の現地窓口になっている。志津川港近くにあった店舗は津波で壊滅。高台に借りた倉庫に物資を集め、それを避難所や仮設住宅に配り歩く。そうした取り組みの中で、嶋津さんは必要な物資の品目や数量をネットで発信しながら、配送の動きを調整する中心的な役割を果たしている。

プロジェクトのルート以外にも、個人的な人脈を駆使。毎年仙台で開かれるみちのくYOSAKOI祭りの実行委員長を務める父・紀夫さん、仙台市にある一番町四丁目商店街婦人部の元会長の母・千枝子さんのつながりでも全国各地から物資を調達。「両親のルートを含め、自分が仲介して南三陸町に届けた物資は4、5000万円は下らない」と話す。

仙台─南三陸の移動は通常、高速道路を使えば片道2時間以内の距離だ。だが震災後は深刻な渋滞が日常化し、倍近く要する日々が続いた。朝5時前には仙台の自宅を出て、深夜に帰る生活。資金的にも体力的にもきついと判断し、4月中旬以降は車の中や物資倉庫の一角などで現地に寝泊り。「支援を始めてからこれまで、自宅で寝たのは10日あるかどうか」と苦笑する。

物資を配り届ける対象は、当初の避難所から仮設住宅へ移りつつある。避難所では、食糧を含めさまざまな物資が行政を通じても届けられたが、仮設住宅入居後は「自立」が原則。だが嶋津さんは「車もなければ仕事もない入居者も多い。歩いていけるような距離に買い物できる場所もない。そんな地域で『自立しろ!』と叫んだところで、人々は途方にくれるだけ。困っている人がいる以上、できる限りの支援は続けたい」と声を大にする。

この夏はプロジェクトがかき集めた扇風機を町内でも1400台配布した。今は既に冬に備え、ストーブやコタツなどの暖房器具をいかに調達するか、知恵を絞る。

生活物資の支援だけでなく、漁師の生活再建には欠かせない漁船の調達にも動き回る。「船があれば漁師はすぐにも働けるし、魚介類の水揚げが活発になれば、商売も回りだす」と、募金などを元手にインターネットオークションで中古漁船2隻を落札。地元漁師に渡し、再起の一歩にしてもらう計画だ。

支援活動を続ける中で、被災地住民の間では行政への不満が日に日に高まっていると感じる。商売を再開しようにも浸水した地域では認めなれないこと。だからといって、新たな街を築く場所はどこになるのか、方向性が依然示されていないこと。嶋津さんは「行政はもっと被災者の不安や不満に寄り添って、できるところから早く実行してほしい」と語気を強める。

支援を始めた当初、「関わるのは南三陸のタコが食べられるようになるまで」と言っていた。だが、あの美味を再確認できた今も、「現場に状況を考えれば、まだ当分は足は洗えそうにない」と考えている。


こんな応援を求めています。
物資の支援は、まだまだ足りない。どんな品目が被災地では求められているか、ふんばろう東日本プロジェクトのサイトhttp://fumbaro.org/を見てほしい。自力で物資を買い集めて梱包し、送料を掛けて送らなくても、ネット上で買い物するだけで物資が被災地に届く仕組みになっている。送料が浮く分、同じ金額でより多くの支援ができる。特に生活物資は、南三陸町で再開した商店で買ってもらうことも可能で、そうすれば物資の支援と地元経済復興支援の両立ができる。どんな支援ができるか分からないという人、例えば炊き出しに行きたいがそうすればいいか分からないなどという人は、自分に直接電話して欲しい。支援したいという気持ちが被災地でもっとも力を発揮するようにコーディネートする。遠慮なく電話してほしい(嶋津さん談)。

※お力をお貸しいただける方は、嶋津さん090(3923)2004までご連絡ください。

取材・執筆者 河北新報社ネット事業部 大泉大介

「やることは、誰もやっていないこと」

ボランティア団体「スコップ団」団長
平了(たいらりょう)さん


平さん



被災民家の泥出しやがれき撤去、草刈りといった復旧支援を行う点では、従来のボランティアセンターが担っている役割と似ている。だが、民間組織ゆえ、自由度が高い「スコップ団」。「活動場所には、現地集合、現地解散が基本」という1点だけでも、異色のボランティア団体だ。

 仙台市青葉区栗生の自宅で広告代理業をはじめとする「企画屋」を生業とする33歳の平さんは、東日本大震災で親しい知人を数人、知人の親類ら自分とつながりのある人々を失った。震災直後の悲惨な被災現場で知人の行方不明者を探し回った時から、「自分と何人かの仲間たちで、(人助けのために)できること」を手掛けてきた。初期の混乱期には、東松島市で自警団として奮闘し、避難所で被災者1人1人に必要な物資を聞いて回り、それらを調達して直接届けた。ガソリンだけでも22000リットルを無償提供した、という。

 人とのつながりから独自にボランティアニーズを発掘し、ボラセンでは派遣しないような沿岸部の「避難指定区域」に積極的に入って行っている。これまで、仙台市や気仙沼市、石巻市、女川町、山元町など宮城県内で活動し、100件近くの案件をこなしてきた。スタッフとしての団員は10数人だが、共感して活動に参加した人々は全国各地から約450人に上る。

 活動は、土日に限った短期集中型。「少ない人数でこつこつやるんじゃなくて、仕事が休みの時に集まって大人数で短時間に数多くをこなす。だらだらやっていたら効率が悪い。月曜日から金曜日まで平日は必死に働いて、休みの日にガツッってやってしまう。仕事を休んでやっていたら、自分たちの生活がだめになる。そういうことはしたくない」

 「ボランティアって言葉、好きじゃないんです。困ってたら、お互い様。こうして(ボランティアを)やっている俺らがいつか困った時には、今こうして力を貸した人たちが助けてくれるかもしんないし。つながっているんですよ、人ってどこかで。人助けに、理由なんていらない。だから、ボランティアって言葉、嫌」

 平さんは、3、4年前に始めた自身のブログで、震災後はスコップ団の活動を中心に情報発信している。オブラートに包んだような耳障りが良く当たり障りのない文章とは対極な、熱い情熱と思いをびしびしと感じさせるストレートな表現に、多くの読み手が集まり、共感者が増えている。 

 「どうせ地球のチリだからな。」http://blog.goo.ne.jp/cheapdust

 仙台市の地下鉄や民間バスで、スコップ団の宙づり広告を見掛ける。オリジナルTシャツを着た後ろ姿の女性団員が横顔をのぞかせてピースサインをしていたり、スコップを両手で上空に掲げる団員を足元から逆光でとらえた構図、夕闇迫る被災地の駅など、クールな印象を抱かせる凝ったデザインばかり。それら写真にメッセージが添えられている。「私達がスコップでスクウのは、何も泥に限ったハナシじゃないのよ」「やることは、誰もやっていないこと。」「名前がダセェのは、まぁ、気にすんなよ。人助けに理由はいらねぇ。」....。 

 平さんは、こうも言う。「俺らゲリラ的にやってますけど、モラルは誰よりもありますから」

 スコップ団HP http://schop-dan.com/



こんな応援を求めています


 スコップ団では、Tシャツのほか、ステッカーや作業手袋、100円ライターなどを自分たちで作って販売してます。これから、長袖シャツやパーカーも出てきます。こうしたグッズの売り上げをすべて活動資金に充ててます。ほとんどがガソリン代なんですけど。だから、活動はできないけど支援したいって人は、グッズを買ってください。寄付金とかは嫌なんで頼みません!グッズを買って、それを身につけてスコップ団のことを広く宣伝してください。それと、今は半分近くが県外から(ボランティアが)来ているので、もっと多くの県内の男たちの参加を呼び掛けます。お父さん方が今やるべき事は、人のために動くことだと思う。(平さん談)


取材・執筆者:河北新報社ネット事業部・相原研也



*グッズを購入したり、活動に参加してスコップ団を応援したい、という方は
スコップ団のWEBサイトにアクセス下さい。http://schop-dan.com/

ボランティアして欲しい団体とボランティアをしたい人をつなげる

ボランティアインフォ代表
北村孝之さん(29)


ボランティアインフォ写真
「われわれが発信する情報で、被災地のボランティアニーズを知ってほしい」
と訴えるボランティアインフォの面々。
前列中央が北村代表=仙台市青葉区中央の団体事務所



JR仙台駅前のオフィスビルに借りた事務所を拠点に、被災地のボランティア情報を収集・発信する活動を続ける。30人ほどの所帯のうち、北村さんと副代表の大藤多香子さんの二人が専従スタッフ。ほかは地元仙台や首都圏のボランティア学生らだ。

動き始めたのは5月15日。当時は、ネット上にさまざまなボランティア募集情報が流れ始めていたが、散在していたため、ボランティアをしようとする側からすると、どこを、どう探せば自分に適した活動場所にたどり着けるのか、分かりづらい状況だった。「ネット上に上がっている情報を一箇所に集約しつつ、上がっていない情報は拾い上げる。それをキレイに整理してネット上で見せれば、もっと多くのボランティアした人を被災地につなげられる」。そんな思いから一歩を踏み出した。

北村さんは滋賀県守山市出身。東京で大手通信会社やIT系のベンチャー企業を経て、途上国の教育支援を行うNPOに身を置いてきた。震災支援の活動には友人の誘いで参加。「集まったメンバーの中で、時間が自由になるのは自分ぐらいだった」との理由から、滋賀の自宅を離れて仙台を拠点に活動を続ける。
ネットだけでなく、JR仙台駅構内の一等地にブースも開設。駅に降り立った人が、いまどこで、どんなボランティアを必要としているのか、手軽に分かる仕組みも整えた。

震災発生からまもなく半年。各地の社会福祉協議会が運営しているボランティアセンターの中には、閉鎖するとことも目立ってきた。だが、「ボランティアのニーズがなくなったわけでは決してない。ボラセン閉鎖=ボランティアはもういらない、ではない」と力を込める。
「公的機関が運営するボラセンは、危ないからとチェーンソーが必要になるような現場はノータッチだし、津波をかぶった農地のごみ拾いはしても農作業に当たるとして草むしりはしないなど、融通が効かないところがある。でも、復興にはそうした作業こそ不可欠。だから小さなNPOやボランティア団体が個別に支援に入っている」と現状と説明。その上で「そうした団体ほど情報発信力が低く、十分なボランティアを確保できていない。そこを何とかしたい」と自らの役割を説く。

ボランティアインフォは8月1日、「もっとボランティアを!プロジェクト」と名付けた次なる取り組みを始めた。東京と地元のボランティア学生に運転手の3人1組を基本に宮城県内各地の津波被災地を回り、活動中のボランティア団体を調査。8月22日現在、約30団体を取材し、どこで、どんなボランティアが必要とされているか、隠れたニーズを掘り起こし続けている。

自ら汗を流すボランティアと違って、情報を扱うボランティアは自分たちの働きがどれだけ被災者のためになったか見えにくい。それでも再訪した被災地で「おかげさまでボランティアが集まったよ!」と言われた時の手ごたえは格別。もっと多くの人を呼び込む力になろうと、募集人数や作業内容などの事務的な内容だけでなく、その団体が、どんなきっかけで活動を始めることになったのか背景まで深く取材・記事化することで、読み手の琴線に響く情報にしようと工夫を凝らす。

「活動している人の顔が見えれば、ボランティアも参加しやすくなる。ネットの世界は無機質になりがちだけど、そこに人の思いや心意気、体温が伝わるような情報を届けたい」と北村さん。

被災地の「助けてほしい」の声を拾い集めて発信し、今日も誰かの「助けたい」のアクションを呼び起こしている。

こんな応援を求めています

まずは、実際にボランティアに来る人が増えてほしい。まだまだ支援のニーズはある。それでも、みんなが被災地に来られるわけではない。遠方の方には資金面の支援をお願いしたい。われわれはいま、3団体からの助成金約360万円を元手に活動しているが、いずれそれも底を突く。東京の学生が仙台に来る交通費も、みな自腹の状況だ。今後は活動エリアを岩手県など宮城以外にも広めたいので、資金はあればあるほど助かる。
またサイト充実への助っ人もほしい。これはネット環境と若干のパソコンスキルがあれば、世界中から参加してもらえる。現状はパソコンでしか見られないホームページを携帯電話からも見られるようにしたり、既存の情報を再編集して「女性向けのボランティア情報」に再加工したり、もっと使い勝手を改善する力がほしい。個人でも企業でも、ここを担ってもらえると、被災地にもっとボランティアを呼び込む力になると思う。(北村代表談)


※お力をお貸しいただける方は、北村さん080(5949)8541までご連絡ください。
詳しくはhttp://volunteerinfo.jp/

取材・執筆者 河北新報社ネット事業部 大泉大介


みんなに笑顔が戻るまで

一般社団法人「日本災害救助隊仙台」代表
阿部哲也さん


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東日本大震災発生後、政令都市・仙台市の沿岸部で津波被害に遭った現場に駆け付け、その地区の復旧にこだわり続けた当時10数人のボランティアたちがいた。同市宮城野区岡田地区に結集した彼ら彼女らは“岡田組”と呼ばれ、3・11当夜には出張先の神戸から仙台入りした阿部哲也さんは、その中心的存在だ。

 「ボラセンは現場に最も近い場所にあるべき」。岡田組は、仙台市社会福祉協議会(市社協)運営のボランティアセンター(ボラセン)に先駆け、現地(仙台市宮城野区岡田南在家110-6)に貸家3軒を借り上げ、宿泊所と事務所、倉庫機能を備え、自分たちの活動拠点を4月中旬に立ち上げた。5月1日には、「岡田サテライト」として仙台市津波災害ボラセンの支所となり、再び民間運営となる8月1日まで延べ10355人のボランティアを集め、被災地の前線基地として重要な役割を果たした。

 「僕を含め、ここではカリスマ的存在のボランティアは必要ないんです」と言う阿部さんは、これまで、阪神淡路大震災や中越地震、スマトラ地震など国内外の災害現場でボランティアをしてきた。数々の被災地で、そしてCMプロデューサーの本業で培ってきた経験や知識、人脈などを駆使し、陣頭指揮に当たってきた。

 8月1日から完全民間運営に移行した施設は、「津波復興支援センター」という名のボランティアセンター。NPOや法人、メディア関係の団体などで構成する一般社団法人「仙台災害復興支援協議会」が母体で、阿部さんが代表を務める「日本災害救助隊仙台」が幹事役。社協運営のボラセンが行ってきた民家の泥だし作業に加え、ボラセンでは行ってこなかった田畑の泥だしや床板はがし、草刈りや流木処理など、「被災者のニーズに可能な限り応える」作業を行い、仮設住宅の被災者ケアや地域づくり関連支援にも力を注いでいる。

 「僕らが望むのは、地域の人たちが望む形での地域の復興」と語る阿部さん。今後、協議会や運営スタッフに積極的に地元の人々が関わっていくように働き掛け、地元による地元の復興を目指していく、という。「ボランティアのウォンツ(要望)として、『被災地に笑顔を戻す』ってよく聞くけど、僕らは、戻すんじゃなくて、『戻るまで』やるつもりです」。7月4日には、東京から仙台に住所変更した阿部さん、53歳。既に、地元民である。


こんな応援を求めています

 日常的に使用する、ゴム手袋とか胴長、カマ、自転車などの作業道具は消耗品なのでいつでも求めています。それ以上に必要なのは、人材です。チェーンソーを扱える林業者、家の修繕ができる大工、建設現場で機能的に働ける建設関係者、仮設で働いていただく医療、教育関係者....。現職でなくとも専門知識がある方々で、ある程度の期間ボランティアできる人たちを特に望んでいます。現場では復旧作業と並行しながら復興支援づくりを徐々に進めています。僕らと一緒に、地域づくりに汗を流してみませんか。(阿部代表談)


取材・執筆者:河北新報社ネット事業部・相原研也


※お力をお貸し頂ける方はsbn@socioengine.co.jpまでご連絡下さい。

仙台市若林区の農業再生で地域興しを目指しています

震災復興・地域支援サークル「ReRoots」(リルーツ)代表
広瀬剛史 さん


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広瀬剛史さんは、仙台市の穀倉地帯・若林区で、農業者と直接結び付いて復興を支援しているグループを統括している。メンバー約25人の9割が在仙の大学などに通う学生らで、数少ない社会人メンバーの最年長(37歳)としてリーダーシップを発揮。独協大1年時から中国残留孤児の生活支援をするNGOに籍を置き、19年の市民活動歴が、今回の被災地復興支援活動にも役立っているようだ。

仙台市内のボランティアセンターでは、甚大な津波被害を受けた農地の復旧作業を行わない。「農業再生が地域復興につながるはず」との信念を掲げるグループに、先祖代々受け継いできた田畑の壊滅的な惨状を嘆く農家からお呼びが掛からないわけがない。7月16日には、地元農家から無償提供された空地にモダンなプレハブ小屋を設置して、ボランティアハウスを開設した。「活動拠点を被災地の中に置くことで、地元の方々とこれまで以上の結び付きを強めていきたいと考えています」と意気込む。

田畑にたまったがれきの撤去などは活動の第一歩。「土起こしした畑で農作物を栽培し、復興野菜として市場に出したり、各種イベントを通じてボランティアハウスに地元の方々が集うような仕組みをつくり地域興しにつなげていきたい。農業地なのだから、農業復興こそ地域に元気と活力をもたらすと信じています。小さなグループなので、正直、大それたことはできないとは思います。でも、小さな活動でも、光が見えるような結果につなげていきたいと考えています。末永く、急がず、焦らず、着実に。地域の方々と手を携えながら、復興、再生に向けて一歩一歩進んでいけたらいいいなと思っています」


こんな支援を求めています


ボランティアの人手が全く足りていません。ボランティアハウス開設後、農家の方々からボランティア要請ニーズが寄せられることが増えてきたため、それまで週末を中心に行ってきた活動を平日にも展開するようにしましたが、主たるメンバーが学生のため学業でボランティア活動に時間を割くことができず、少ない時で5人程度。まだまだ知名度不足なことを実感しており、あらゆる機会、人脈を駆使してPRしております。作業道具などは他の連携団体などから提供を受けほぼそろっていますが、移動に使う自転車も足りていません。いかなる協力も歓迎です。ぜひともお力を貸してください。(広瀬代表談)

※お力をお貸し頂ける方はsbn@socioengine.co.jpまでご連絡下さい。


取材・執筆者:情報ボランティア@仙台 :相原@ふらっと(あるいは、河北新報社ネット事業部・相原研也)

南三陸を産業で復興させたい(「入谷公民館」館長 阿部 忠義さん )


阿部忠義さん


復興ダコから南三陸に活気を取り戻す


 阿部忠義さんは震災後、4月1日付で入谷公民館の館長となった。これまで、大正大学(東京)や北里大学(北海道)をはじめ、兵庫県や岐阜県の大学からのボランティアを多く受け入れてきた。
「もったいない」学生ボランティアについて、阿部さんはそのような言葉を口にする。がれき撤去や水道工事などはプロの仕事。大学生ができる作業は、物資の仕分けや炊き出し、写真の洗浄などに限られる。「せっかく遠方から来てもらっているからには、学生にはいい汗をかいてもらいたい」仮設住宅のペイントやモニュメントの制作などを手伝ってもらえないか、考案中だ。
元々は南三陸町役場、産業振興課の職員。町名産のタコのキャラクター「オクトパス君」は合格祈願の文鎮として、昨年から販売されていたが、津波で製作所や販売施設が全滅。そんなとき、大正大学の支援を得て、オクトパス君を復興のシンボルにすることに。有志の町民と共に「南三陸復興ダコの会」を結成し、5月中旬より制作を始めた。
「南三陸に今最も必要なものは仕事とコミュニティ」と言う。復興ダコを皮切りに、南三陸に雇用と活気を取り戻す。


こんな支援を求めています


 現在、民芸品制作や内職センターなど、雇用創出のための企画を進めている。企画を実施するにあたりバックアップしてくれる人材を求めている。また、ボランティアの受け入れは継続的に行っている。


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阿部さんのバックアップをしてくれる方、募集!


阿部さんの企画を実施するにあたり、バックアップを担う人材を募集しています。お手伝いできる方はsbn@socioengine.co.jpまでお問い合わせ下さい。
プロフィール

tohokutact

Author:tohokutact
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