「米屋としてできることを」

米工房いわい(仙台市太白区長町3丁目)統括部長 岩井一剛さん(30)
仙台市太白区長町の商店街にある米穀店。仙台市青葉区にある広瀬通り店と合わせて、いま店一番の人気商品は「復興支援米」と名付けたコメだ。
中身は、宮城県産の「ひとめぼれ」。1袋5キロ(2000円)が売れるごとに、店が300グラムを積み立て、まとまった量になったら被災者に贈るという仕組みだ。
7月12日の発売以来、10月半ばまでに1500袋が売れ、被災者に届けられるコメは450キロを超えた。
支援の第1弾として11月15日、店から徒歩10分ほどのところにできた「あすと長町仮設住宅」に1世帯1キロずつ、計233キロを贈った。
現地の集会所で行われた贈呈式で、入居者ら約60人が見守る中、岩井さんは「皆さんに喜んでいただき、こちらもうれしい。世間では震災が忘れられようとしている雰囲気もあるが、われわれは今後も支援米の販売と皆さんの支援を続けます」とあいさつした。
店は昭和28年創業。平成に入って、父であり社長の宏太さん(67)は、コメの小売りだけでなく、店頭で握るおにぎりや手作りの総菜販売などにも業態を拡大。「米屋が握る本物のおにぎり」は、コメ作りが盛んな地域でも評判となり、一気に知名度を高めた。
3代目に当たる岩井さんは震災後、「地元の米屋として被災者に何ができるか」と考え続けた。震災直後からおにぎりを販売し続け、地域住民の食を支えてきたが、「それは米屋としては当り前のこと。もっとほかに何かできないか」と思案した。
義捐金を送る案もあったが、もっと米屋らしい支援をしようと、支援米の仕組みを発案。友人がデザインしてくれた真っ赤な袋には「がんばっぺ東北」のメッセージを入れた。
消費者の評判は予想以上に良かった。地元の新聞やテレビに取り上げられたこともあり、ユニークな取り組みは一気に浸透。店には「被災者支援につながるコメがあると聞いたんですが」「おいしかったのでまた食べたい」との問い合わせが相次いだ。
個人だけでなく、企業からの需要も販売量のアップにつながった。携帯電話会社や住宅メーカーなどが、イベントの際に来場者に配る記念品として、300グラムから1キロ入りの小袋を大量に買い込んでくれたからだ。
店としては、売れれば売れるほど持ち出しも大きくなるが、マイナスだけではなかった。支援米が贈答品として使われた場合、贈られた側が「宮城のコメはおいしい。また食べたい」と注文をくれるケースが急増。新たな顧客の獲得というプラスを生んだ。注文が入るたびに、妻の久仁子さんは感謝の手紙を書き、支援米が結んでくれた縁を大切にしている。
次のコメの贈り先を、岩井さんはもう心に決めている。津波被災地の一つ、宮城県多賀城市の仮設住宅という。
支援米の販売を始めて間もなくのこと、1人の客が店を訪ねてきた。支援米の取り組みに賛同し、買いに来たという。住まいを訪ねると、多賀城市の仮設住宅だった。自ら被災しながら、少しでも同じ被災者のために動こうとする姿勢に、岩井さんは胸が熱くなった。
「小さい店ですが、今もなお大変な思いで生活している人を、少しでも支えたい。支援米を買ってもらえれば、被災者の役に立てるし、放射能の風評被害の影響で落ち込んでいる宮城のコメ農家を励ますこともできる。みんながコメを介して心を一つにして、復興に向かって歩めればいい」
コメを仲立ちにして育まれる人と人との支え合い。その橋渡し役になれたことを岩井さんはいま、地域に根差した米屋として誇りに思っている。
こんな支援を求めています。
通信販売もしている(http://www.kome-iwai.com/support.html)ので、全国の人に復興支援米を利用してほしい。特に企業様にはノベルティーなどとしての活用を提案したい。コメは誰にでも喜んでもらえるし、インパクトもあるから宣伝効果も高い。何かのイベントで来場者に配る記念品などとして検討してほしい。支援米を買ったり食べたりすれば、自然と気持ちは震災や被災地に向かう。それが「震災を忘れない」ことにもつながると思っている。
取材・執筆 河北新報社ネット事業部記者 大泉大介
米工房いわい
仙台市太白区長町3-3-5
電話022(247)3181。第1、3日曜定休。
スポンサーサイト